儀山政宗公の墓(野手倉墓所) gizanmasamunekounohaka
当地方は伊達宗遠(8代)以降、7代にわたり(9代~14代:儀山政宗、氏宗、持宗、成宗、尚宗、稙宗)、高畑城を中心に施政が行われてきた。高畠は、伊達家の本拠赤館城(現桑折町)と地理的にも近く、しかも二井宿峠を背に要害の地であることから選定されたといわれる。その後、晴宗(15代)から米沢城に移り、17代・貞山政宗の天正19年、岩出山城(岩出山町)に移されるまで、伊達家は210年の間、置賜を統治した。 【儀山政宗の墓】 野手倉塔ノ峯に、9代伊達政宗の墓がある。明治37年に発見され、同年9月、伊達家により五百年祭が執行された。墓域には石垣がめぐらされ松林の中にある。右に政宗の墓、左はその室・紀氏の墓である。