光明寺跡 koumyoujiato
相森山の北側に森添(もりぞえ)の地名があり、光明寺というお寺があった。真言宗智山派(しんこんしゅうちざんは)で慶応元年(1865)12月法性院雄山上人(ほうしょういんゆうざんしょうにん)の創建にして、堂宇は縦6間、横4間、境内38坪、本尊は大日如来(だいにちにょらい)を安置し、当時信徒は17戸であった。正一位三吉稲荷の別当として有名であった。大正年間廃絶、その後も稲荷神社の別当として繁栄したが、昭和12年焼失し、今はその跡を絶ち、石碑などの破片だけが面影を留めている。