熊坂疎水之碑 kumasakasosuinohi
深沼字熊坂の地は、四周水田に囲まれ灌漑用水は流れるも飲料水は極めて乏しく、井戸を掘るも清水を得られなかった。部落民は不便と苦労から疎水の必要性を感じ、明治32年8月屋代川堤防の南に源水を求めて工事を起こす。水道は生松の丸太の木管で深さは2m余り、距離も1200m以上、総工費600円にして一大難工事を完成する。疎水は多年恩恵に浴したが、明治44年の屋代川洪水の後を受けて、大正2屋代川八坂橋下流の切削工事完了後は川底が極端に低下。夏期は枯渇し断水となり大正8年10月、再度工事に着手し、源水を延長新設木管に埋設した。寒風雨雪の中同年11月下旬遂に竣成、疎水以前にも増して水量豊富、水室良好、真に部落民幸福となる。明治32年11月、熊坂地蔵尊境内に子孫に伝えるべく碑を建立する。