新堀揚水記念碑 shinboriyousuikinenhi
新堀の上に立つ揚水記念碑は、大正8年春糠野目村有志相謀(あいつの)り松川より電力揚水をすべく同年8月、耕地整理組合を組織した。県の指導を得て推進を図るべく、黒井堰水利組合においても補水計画を立てた。更に、一本柳二の堰耕地においても干害からの苦労を脱する好機として、三者ともに会議を得て同年10月に起工、翌年6月竣工、第1区として発足する。その後も水利の便を図るべく昭和2年春より議を推進し、同年10月起工し翌年6月竣工第3区として発足する。23区併せて200町歩に及ぶ干害に遭うも昔日の苦難なく慶福(けいふく)をもって先学諸氏の景仰(けいこう)する所となる。昭和26年建立、完戸一郎書である。天額に揚水記念碑と刻され当時の農林水産大臣 根本龍太郎と記されている。