虚空蔵尊堂
日吉山耕福寺は南朝の楠木正成の三男、傑堂能勝禅師が永和5年(1379年)に開山し、文禄年間(1592年~)、置賜地方を統治していた伊達政宗の家臣・小梁川貞範が日頃信仰していた仏像をこの寺に奉納、供養したのが虚空蔵菩薩といわれている。 この虚空蔵菩薩は空海上人の作といわれ、小滝(南陽市)、柳津(福島)の虚空蔵尊と同木同作にして、当寺の尊像は、その中でも本木で作られたもっとも尊いものといわれている。
日吉山耕福寺は南朝の楠木正成の三男、傑堂能勝禅師が永和5年(1379年)に開山し、文禄年間(1592年~)、置賜地方を統治していた伊達政宗の家臣・小梁川貞範が日頃信仰していた仏像をこの寺に奉納、供養したのが虚空蔵菩薩といわれている。 この虚空蔵菩薩は空海上人の作といわれ、小滝(南陽市)、柳津(福島)の虚空蔵尊と同木同作にして、当寺の尊像は、その中でも本木で作られたもっとも尊いものといわれている。