資福寺跡 shifukujiato
慈雲山資福寺は、弘安年間(1278~1287)長井時秀西規が、鎌倉建長寺の僧、紹規を招き建立したものである。当時この地は置賜の要所で、関東十刹の1つとして東北の文叢の中心をなしていた。 伊達氏はこの地に夏茂城を築き、資福寺はその帰依寺、学問寺として栄えた。独眼竜政宗として有名な貞山政宗も幼少の折、この地で勉学に励んだのであろう。 天正19年(1591年)、資福寺は仙台に移されたが、寺域内には二重の堀跡、土塁跡など中世の遺構が存在する。また、資福寺にあった永仁4年(1296年)鋳造の浩鐘は亀岡文殊堂に寄進されたが、戦後改鋳され幻の鐘となった。現在は伊達家の墓と石積みが名残を残すのみとなった。