正一位樋口稲荷神社 syouichiihiguchiinarijinja
(由緒書より抜粋)中興伊達家の家臣、濱田伊豆守近盛(はまだいつのかみちかもり)、南帝の孫尊義王の御子、日尊王(にっそんおう)に奉仕し戦功数有り、後土御門天皇(こっちみかどてんのう)文明2年(1470)11月9日殺逆せる時、髪を落とし奉り笈中(きゅうちゅう)に納め仮に道土の装をなし負けて帰還し、当城鬼門守護の稲荷宮の社内へ主君の髪を奉納し奉り崇敬し益々壮ん也とあり・・・…(中略)・・…明治26年(1893)2月崇敬惣代協議相整へ醸金で官幣大社稲荷神社において大祀式を執行せしより、以来益々信徒の者競へ集まり、社務所を設立し、祀ったものである。