桶佐堀 okesabori
今でこそ美田がひろがる西根地区ですが、その昔は堰(せき)や堤(つつみ)がいくつも造られたほど、水に苦労した土地であったといわれています。史跡として指定されている『おけさ堀』もその一つです。葉山の登山道(朝日軍道の一部)の標高800メートル付近に、勘三郎と妻おけさが掘った堰で、沢水を草岡まで引いて水不足を補ったといいます。草岡の赤地蔵堂前の勘三郎碑によれば、寛文10年(1671)に開削されたことになっています。そのほかの嘉永堰(かえいぜき)や栃の木堰(とちのきぜき)、昭和堰など、灌漑用水を確保するための先人のたゆまない努力をうかがい知ることができます。 【※現在のおけさ堀付近には、写真のような分岐を示す標柱が立っています】