学翁景敏碑 gakuoukagetoshihi
一本柳満福寺境内参道、橋の手前右側に高さ40cmの凝灰岩の台座に高さ150cmの同じく凝灰岩の酬恩碑がある。正面に学翁景敏碑と記されている。 景敏とは、浜田要蔵のことであり、第15代浜田大和景隆主家伊達と共に岩出山に移りしとき、一本柳に残留した浜田氏一族の子孫であるという。人格高潔、学識豊かにして百余人の弟子を教導して安政6年(1859)11月10日死去51才。
一本柳満福寺境内参道、橋の手前右側に高さ40cmの凝灰岩の台座に高さ150cmの同じく凝灰岩の酬恩碑がある。正面に学翁景敏碑と記されている。 景敏とは、浜田要蔵のことであり、第15代浜田大和景隆主家伊達と共に岩出山に移りしとき、一本柳に残留した浜田氏一族の子孫であるという。人格高潔、学識豊かにして百余人の弟子を教導して安政6年(1859)11月10日死去51才。