長井紬 nagaitsumugi
養蚕は江戸時代初期から行われていましたが、主として生糸等の原料輸出地でした。安永5年(1776年)に時の藩主上杉鷹山公の殖産興業制作の下、あら町の横沢忠兵衛が新潟県松山から縮布織師を招き、縮布を生産したのが始まりです。 原料繭の生産では江戸時代か末期から昭和にかけて置賜地方が県の主要産地であり、その中でも長井市・白鷹町が主産地でした。 明治の中ごろになると、長井紬は全国で知れ渡るようになり、昭和51年には通産大臣指定の「伝統的工芸品」として認められました。
養蚕は江戸時代初期から行われていましたが、主として生糸等の原料輸出地でした。安永5年(1776年)に時の藩主上杉鷹山公の殖産興業制作の下、あら町の横沢忠兵衛が新潟県松山から縮布織師を招き、縮布を生産したのが始まりです。 原料繭の生産では江戸時代か末期から昭和にかけて置賜地方が県の主要産地であり、その中でも長井市・白鷹町が主産地でした。 明治の中ごろになると、長井紬は全国で知れ渡るようになり、昭和51年には通産大臣指定の「伝統的工芸品」として認められました。