二井宿峠 niijukutouge
二井宿峠は奥羽山脈を越える峠のうちでは最も低く、一の坂・二の坂・三の坂があり山形県で最も古くから開けた峠道、古代からの歴史が凝縮している場所である。 天授6年(1380年)9代伊達政宗は父宗遠とともに、山形県置賜郡の長井氏攻略のため進軍した際、霧の二井宿峠で「山間霧」・「山家雪」の和歌を詠んでいる。 17代政宗は、豊臣秀吉の命によりこの峠を越え、故郷・山形県置賜郡を後にして宮城県岩出山へと移っていった。
二井宿峠は奥羽山脈を越える峠のうちでは最も低く、一の坂・二の坂・三の坂があり山形県で最も古くから開けた峠道、古代からの歴史が凝縮している場所である。 天授6年(1380年)9代伊達政宗は父宗遠とともに、山形県置賜郡の長井氏攻略のため進軍した際、霧の二井宿峠で「山間霧」・「山家雪」の和歌を詠んでいる。 17代政宗は、豊臣秀吉の命によりこの峠を越え、故郷・山形県置賜郡を後にして宮城県岩出山へと移っていった。