志田舘址 shidadateshi
志田舘は出羽国と陸奥国の国境にある。屋代川をさかのぼり上山楢下を経て、最上山形に至る米沢からの間道筋にあったため、歴史的にも文化的にも重要な位置を占めていた。東西南北がほぼ見渡せる絶好の地に構築されていた。 天正2年(1574年)16代伊達輝宗と最上義光の合戦の際、輝宗はここに陣を敷き(新宿の対陣)、楢下城、細谷城、高楯を攻め、中山城に陣を移して義光と和睦している。
志田舘は出羽国と陸奥国の国境にある。屋代川をさかのぼり上山楢下を経て、最上山形に至る米沢からの間道筋にあったため、歴史的にも文化的にも重要な位置を占めていた。東西南北がほぼ見渡せる絶好の地に構築されていた。 天正2年(1574年)16代伊達輝宗と最上義光の合戦の際、輝宗はここに陣を敷き(新宿の対陣)、楢下城、細谷城、高楯を攻め、中山城に陣を移して義光と和睦している。